「さかいへの質問」
以前所属していた自民党では大阪を変えることはできなかったのでしょうか?

また、大阪維新の会に一歩踏み出すというときにさかいさんの中でいろんな恐怖だとか恐れがあったと思うんですけど、実際にはどんな心境だったのでしょうか?

「さかいの答え」
そもそも基本的に議員をずっと続けたいという気持ちはありませんでした。

自分の身分にこだわらず大阪をよくするためには何をすべきかと考えました。

自分自身を犠牲にするくらいじゃないと本物の改革はやっていけないという大前提が自分の中にありました。

ですから、恐怖や不安はありましたが、それよりも、とにかく大阪を良くしたいという気持ちが強かったのです。

もちろん、いろんな足の引っ張りや誹謗中傷はありましたが・・・。信念が揺らぐことはありませんでした。

自民党の中にも改革派はいましたが、今までの政治の慣習・慣例が改革を妨げていました。

例えば、これまでの議会では議員が条例を作るというようなこともほとんどありませんでした。

でも、大阪市を変えるとなると本来は条例を制定することが必要なのです。

行政は法律や条例に縛られて仕事をするものだからです。

ですから、維新の会では教育基本条例や職員基本条例という条例を議員の手で作りました。

この様な条例作りをやることで、行政改革は大きく進みました。

改革を進める条例作りをやりたかったんです。